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聖霊降臨節第7主日 ≪生命の回復≫
礼拝説教

日本キリスト教団磐城教会 2016年6月26日
2 イスラエルよ、立ち帰れ
 あなたの神、主のもとへ。
 あなたは咎につまずき、悪の中にいる。
3 誓いの言葉を携え
 主に立ち帰って言え。
 「すべての悪を取り去り
 恵みをお与えください。
 この唇をもって誓ったことを果たします。
4 アッシリアはわたしたちの救いではありません。
 わたしたちはもはや軍馬に乗りません。
 自分の手が造ったものを
 再びわたしたちの神とは呼びません。
 親を失った者は
 あなたにこそ憐れみを見いだします。」
5 わたしは背く彼らをいやし
 喜んで彼らを愛する。
 まことに、わたしの怒りは彼らを離れ去った。
6 露のようにわたしはイスラエルに臨み
 彼はゆりのように花咲き
 レバノンの杉のように根を張る。
7 その若枝は広がり
 オリーブのように美しく
 レバノンの杉のように香る。
8 その陰に宿る人々は再び
 麦のように育ち
 ぶどうのように花咲く。
 彼はレバノンのぶどう酒のようにたたえられる。
ホセア書 4章2〜8節
36ヤッファにタビタ――訳して言えばドルカス、すなわち「かもしか」――と呼ばれる婦人の弟子がいた。彼女はたくさんの善い行いや施しをしていた。37 ところが、そのころ病気になって死んだので、人々は遺体を清めて階上の部屋に安置した。38リダはヤッファに近かったので、弟子たちはペトロがリダにいると聞いて、二人の人を送り、「急いでわたしたちのところへ来てください」と頼んだ。39ペトロはそこをたって、その二人と一緒に出かけた。人々はペトロが到着すると、階上の部屋に案内した。やもめたちは皆そばに寄って来て、泣きながら、ドルカスが一緒にいたときに作ってくれた数々の下着や上着を見せた。40ペトロが皆を外に出し、ひざまずいて祈り、遺体に向かって、「タビタ、起きなさい」と言うと、彼女は目を開き、ペトロを見て起き上がった。41 ペトロは彼女に手を貸して立たせた。そして、聖なる者たちとやもめたちを呼び、生き返ったタビタを見せた。42このことはヤッファ中に知れ渡り、多くの人が主を信じた。43ペトロはしばらくの間、ヤッファで革なめし職人のシモンという人の家に滞在した。
使徒言行録 9章36〜43節

1.クリスマスから半年
  一年でもっとも日が長いと言われる夏至が過ぎました。夏至が過ぎ、6月24日は、主イエス・キリストより半年ほど先に生まれたと言われる洗礼者ヨハネの誕生を記念する祭日です(我らが日本キリスト教団の創立記念日でもあります)。わたしたちの教会ではヨハネの誕生を祝って何か特別なことをするという習慣はありませんが、いつもこの日を迎えると、クリスマスまでの半年に思いを馳せます。洗礼者ヨハネという人は、主イエスを証した先駆者でした。ヨハネは、彼のもとに来た人たちにこのように言いました。「あの方は栄え、わたしは衰えねばならない」(ヨハ3:30)と。人生の最高潮にあったときに、死とはかなさとを告げ、唯一の救い主であられるイエス・キリストを指し示したのです。

  今年は、「クリスマスまであと半年」というよりは、「クリスマスから半年が経ったのか」という思いでこの日を迎えました。去る21日、わたしたちの愛する鈴木郁子姉妹が天に召されました。24日にかけて葬りのときを持ちました。姉妹が、一年の中でいちばんクリスマスのときが好きだとおっしゃっていたのを思い起こします。洗礼を受けられたのもクリスマスでした。昨年、クリスマスを共に祝いました。年が明けて、腹痛で礼拝に集うことが困難になられました。厳しい闘病生活の中でも、病室に伺うと、教会のこと、特に責任を持ってくださっていた庭のことを、いつも気にかけてくださいました。

  先々週の金曜日に病室を訪れたときに、少し息苦しそうでした。翌日に肺炎になっていたことがわかり酸素マスクがつくと、会話がほとんどできなくなり、その3日後に、郁子姉は神のもとに召されたのです。わたしが郁子姉と、はっきりとした言葉で交わした最後の話題はやはり庭のことと我が家の犬のケガのことでした。郁子姉がこうおっしゃいました。「先生ね、庭のことですけれど、せっかく庭がきれいになっても、牧師館の障子がまだ破れているそうじゃないですか。あれはどうにかしないと」。ご息女が、牧師館の障子に大きな穴が開いていたよ、と密告されたそうなのです。実はこの穴は最近ではなく、郁子姉の入院前から空いていたもので、庭仕事をしてくださる郁子姉には気になって仕方なかったのでしょう。「あきれたわ」というお顔で笑われてしまいました。わたしがあれこれ言い訳をしていると、「いまどき障子の手入れができる人はいないですから、もうすべてカーテンにしてしまってください。役員会で決めて早めにやってください」と念を押され、業者や予算の話までしてきました。恥ずかしいことなのですが、ずっと気にしてくださっていたのだとわかり、ああこの方は心底教会を愛してくださっているのだな、こんなに情けない牧師を支えてくださっているのだなと思ったら、何とも言えない気持ちになりました。「カーテンのこと、役員会でお願いしてみます」と感謝を伝えて、その日は一緒に祈って帰りました。わたしにはこれが最後の会話となりました。

2.彼女の贈りもの
  今日、ご一緒に聞いています使徒言行録9章36節以下は、キリストの使徒ペトロとタビタという女性の物語です。タビタという女性は、聖書の中ではこの箇所にしか登場しませんが、初期の教会でもっとも重要な役割を担った人物の一人です。なぜそう言い切れるかと申しますと、使徒言行録を記したルカは彼女について主の「弟子」(36節)であったと記しているからです。主イエスの女性の弟子としてはっきりと書かれているのは、彼女がただ一人です。タビタは、ヤッファの町の慈善事業において卓越した存在でした。社会的な地位が低く、貧しく、頼れるもののないやもめのために、彼女は「たくさんの善い行いや施しをしていた」(36節)と言われています。しかし、今や、そのタビタは死んだのです。

  この女性は、なぜ死ななければならなかったのでしょうか。病気の床が彼女を縛りつけていました。ひとりの姉妹の死は、わたしたち自身を悲しみのうちに縛り付けます。死の事実の前で、わたしたちは身動きが取れなくなってしまいます。タビタの遺体の周りで、やもめたちは泣いていました。使徒ペトロがその部屋に呼ばれていきます。やもめたちは泣きながらペトロに、「タビタが下着を作ってくれた」、「この上着を贈ってくれた」と、数々のその手製の衣料を見せたと言います。このやもめたちの行動は、興味深いものです。

  タビタが多くの「善い行いや施し」をしていたと言われていることが、具体的にどのようなことであったかが見える場面です。主イエスの女弟子として、特にやもめの服を縫うことに力を注いできた女性だったことがわかります。困窮する人たちの世話をすることは、旧約聖書から共同体の大切な伝統のひとつでした。初期の教会でも、この伝統は大切に継承されました。使徒言行録の6章では、貧しい仲間たちがないがしろにされないように食事や身の回りの世話をする弟子たちの奉仕を「聖務」として位置づけています。男性の弟子がすると「聖なる務め」で、タビタがすると「善い行い」なのか、これは差別ではないか、と疑問を投げかける人たちもいます。

  彼女の働きは、しかし、女性としての賜物を生かしたものであることは間違いありません。男性に裁縫の賜物がないとは申しませんが、女性の下着を作ることは難しいのではないでしょうか。賜物に応じた役割分担として受け止めることもできます。加えて思わされることは、その人が身につけるものを縫うということが、どれほど愛を必要とした行為であったかということです。今では多機能なミシンもあり、この時代とは比べられませんが、それでも、子ども時代に母が作ってくれたバッグなどは、どんなに古くなっても捨てられません。「手作りのプレゼントは、贈り物を2回するのと同じ」と言った人がいました(ターシャ・テューダー)。その人を思いながら費やす時間と労力が、第一の贈り物となるからです。

3.いのちに与る教会
  わたしたちは何に時間と労力を費やして生きているでしょうか。タビタには、はっきりとした使命がありました。文字通り、彼女はそのために自らの命を使って生きたのです。彼女が、自分たちにどれほど多くのものを与えてくれたか。自分たちにとってどれほど大きな支えであったか。やもめたちは、しかし、タビタの死を前にして無力でした。彼女を中心として存続していた教会は、成すすべもなく立ち尽くしています。ペトロは、泣いている人たちを皆外に出してから、ひざまずいて静かに祈り始めました。そして祈りのうちにタビタの遺体に向かうと、ペトロは言います。「タビタ、起きなさい」(40節)。これはアラム語で「タビタ クム(ミ)」(タビタ、起きなさい)という言葉です。

  「タビタ クム」とは、ペトロ自身がかつて目の前で聞いた言葉です。初代教会で、繰り返し語り継がれていた主イエスのある奇跡を想い起こさせる言葉です。マルコ福音書5章に記された少女のいやしの物語。会堂長ヤイロの幼い娘が瀕死になったとき、主が呼ばて行きます。しかし間に合わず、すでに息を引き取った娘の前で人々は泣いていました。主は皆を外へ出され、娘の両親と弟子のペトロとヤコブ、ヨハネだけを連れて娘に近づかれます。そしてこの子の手を取り、言われたのです。「タリタ クム」(マコ5:41)と。アラム語で「少女よ、起きなさい」という意味です。娘は、すぐに起き上がって歩き出しました。

  教会の宣教が展開された多くの地域でギリシャ語が共通語であったために、新約聖書はギリシャ語で記されています。実際に主イエスが語られた言語はアラム語であったと言われていますが、新約聖書に記されているのはギリシャ語です。「タビタ」という名前もアラム語の名前なのです。ですからギリシャ語で話す人々にもわかりやすいように、「訳していえばドルカス―すなわち『かもしか』」(36節)という説明が加えられています。すべての言葉がギリシャ語に訳された中で、しかし、アラム語の響きが音写されている言葉があります(マコ7:34,15:33)。そのひとつが「タリタ、クム」という主イエスの言葉です。「タリタ、クム」と言う時、そこに主の息づかいが現れます。

  ペトロが「タビタ、起きなさい」(タビタ クム)と言う時、ペトロを通して、主御自らが呼ばれるのです。「タビタ、クム」。タビタは、主の息吹によって、目を開きます。ペトロを見て、身を起こします。ペトロは彼女に手を差し出して立たせ、仲間たちを呼んできました。タビタは生き返りました。この出来事は「ヤッファ中に知れ渡り、多くの人が主を信じた」(42節)と記されています。この回復の奇跡はタビタ個人の物語ではなく、教会の物語です。「多くの人が主を信じ」、信仰共同体がここに新しく生まれたのです。貧しく、小さな教会が、ひとりの姉妹の死という出来事を通して、信仰のいのちを受けるものとされていきます。悲しみの中にあるわたしたちも、今日、このいのちに与るものとされるのです。

祈り


〒970-8036 いわき市平谷川瀬字仲山町25
Tel/Fax 0246-21-2145
          いわき きょうかい
日本キリスト教団 磐 城 教 会
牧師 上竹 裕子
更新:2016.7.5

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