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待降節第3主日 ≪先駆者≫
礼拝説教抄録

日本キリスト教団磐城教会 2016年12月11日
 2その名をマノアという一人の男がいた。彼はダンの氏族に属し、ツォルアの出身であった。彼の妻は不妊の女で、子を産んだことがなかった。3主の御使いが彼女に現れて言った。「あなたは不妊の女で、子を産んだことがない。だが、身ごもって男の子を産むであろう。4今後、ぶどう酒や強い飲み物を飲まず、汚れた物も一切食べないように気をつけよ。5あなたは身ごもって男の子を産む。その子は胎内にいるときから、ナジル人として神にささげられているので、その子の頭にかみそりを当ててはならない。彼は、ペリシテ人の手からイスラエルを解き放つ救いの先駆者となろう。」6女は夫のもとに来て言った。「神の人がわたしのところにおいでになりました。姿は神の御使いのようで、非常に恐ろしく、どこからおいでになったのかと尋ねることもできず、その方も名前を明かされませんでした。7ただその方は、わたしが身ごもって男の子を産むことになっており、その子は胎内にいるときから死ぬ日までナジル人として神にささげられているので、わたしにぶどう酒や強い飲み物を飲まず、汚れた物も一切食べないようにとおっしゃいました。」8そこでマノアは、主に向かってこう祈った。「わたしの主よ。お願いいたします。お遣わしになった神の人をもう一度わたしたちのところに来させ、生まれて来る子をどうすればよいのか教えてください。」9神はマノアの声をお聞き入れになり、神の御使いが、再びその妻のところに現れた。彼女は畑に座っていて、夫マノアは一緒にいなかった。10妻は急いで夫に知らせようとして走り、「この間わたしのところにおいでになった方が、またお見えになっています」と言った。11マノアは立ち上がって妻について行き、その人のところに来て言った。「この女に話しかけたのはあなたですか。」その人は、「そうです」と答えた。12マノアが、「あなたのお言葉のとおりになるのでしたら、その子のためになすべき決まりとは何でしょうか」と尋ねると、13主の御使いはマノアに答えた。「わたしがこの女に言ったことをすべて守りなさい。14彼女はぶどう酒を作るぶどうの木からできるものは一切食べてはならず、ぶどう酒や強い飲み物も飲んではならない。また汚れた物を一切食べてはならない。わたしが彼女に戒めたことは、すべて守らなければならない。」
士師記 13章2〜14節
 2ヨハネは牢の中で、キリストのなさったことを聞いた。そこで、自分の弟子たちを送って、3尋ねさせた。「来るべき方は、あなたでしょうか。それとも、ほかの方を待たなければなりませんか。」4イエスはお答えになった。「行って、見聞きしていることをヨハネに伝えなさい。5目の見えない人は見え、足の不自由な人は歩き、重い皮膚病を患っている人は清くなり、耳の聞こえない人は聞こえ、死者は生き返り、貧しい人は福音を告げ知らされている。6わたしにつまずかない人は幸いである。」7ヨハネの弟子たちが帰ると、イエスは群衆にヨハネについて話し始められた。「あなたがたは、何を見に荒れ野へ行ったのか。風にそよぐ葦か。8では、何を見に行ったのか。しなやかな服を着た人か。しなやかな服を着た人なら王宮にいる。9では、何を見に行ったのか。預言者か。そうだ。言っておく。預言者以上の者である。
10『見よ、わたしはあなたより先に使者を遣わし、
 あなたの前に道を準備させよう』
と書いてあるのは、この人のことだ。11はっきり言っておく。およそ女から生まれた者のうち、洗礼者ヨハネより偉大な者は現れなかった。しかし、天の国で最も小さな者でも、彼よりは偉大である。12彼が活動し始めたときから今に至るまで、天の国は力ずくで襲われており、激しく襲う者がそれを奪い取ろうとしている。13すべての預言者と律法が預言したのは、ヨハネの時までである。14あなたがたが認めようとすれば分かることだが、実は、彼は現れるはずのエリヤである。15耳のある者は聞きなさい。
 16今の時代を何にたとえたらよいか。広場に座って、ほかの者にこう呼びかけている子供たちに似ている。
17『笛を吹いたのに、
 踊ってくれなかった。
 葬式の歌をうたったのに、
 悲しんでくれなかった。』
18ヨハネが来て、食べも飲みもしないでいると、『あれは悪霊に取りつかれている』と言い、19人の子が来て、飲み食いすると、『見ろ、大食漢で大酒飲みだ。徴税人や罪人の仲間だ』と言う。しかし、知恵の正しさは、その働きによって証明される。」
マタイによる福音書 11章2〜19節
1.ナジル人…?
  わたしは、ゴールデン・レトリバーのかりすという犬を飼っています。ゴールデン・レトリバーは毛が長いので、冬は暖かいのですが、夏の暑さが苦手です。見ている方も暑苦しい感じです。ある夏、訪ねてきた友人に「毛をかってあげた方がいいんじゃない?」と勧められました。短くしたらずい分涼しくなるだろうというわけですね。でも、もうひとりの友人が、「ゴールデンは絶対に毛をかりあげたりしてはいけない」と言います。毛を短くするとプライドが傷ついて元気がなくなるのだ、と。これを聞いた友人が言いました。「つまり、かりすはサムソンのような男だってことね」と。どういう意味かおわかりでしょうか?

  今日、ご一緒に聞いています旧約聖書、士師記13章は、サムソンという破天荒男の誕生にまつわる物語です。サムソンという人は、聖書をあまり読まない人たちにも―先ほどのわたしの友人たちにも―知られている有名人です。サムソンの父の名前は、マノアと言いました。母は無名の女性ですが、聖書は、マノアとこの妻の間に起こった不思議な出来事を伝えています。この夫婦は不妊で、子がありませんでした。ところが、あるときこの妻に、天使が現れて、男の子の誕生を告げたのです。「あなたは身ごもって男の子を産む。その子は胎内にいるときから、ナジル人として神にささげられているので、その子の頭にかみそりを当ててはならない」(5節)。
天使は驚くことを言います。「彼は、ペリシテ人の手からイスラエルを解き放つ救いの先駆者となろう」(5節)と。サムソンは、子のなかった夫婦に主から与えられた待望の子でした。誕生のときから、「ナジル人」として聖別されていました。「ナジル人」とは、旧約聖書のヘブライ語で「選り出された」という意味の言葉です。神への奉仕のために聖別された人です。ナジル人の請願を立てた者は、三つの義務を負います。髪を切らない。ぶどう酒を飲まない。死体に近づかない。これら三つの禁を守らねばなりませんでした(民6:1〜7)。しかし、実際には、サムソンはナジル人の聖なるイメージからかけ離れた人でした。

  サムソンは、成長すると、主の霊が与えられて特別な力を持つようになります。その怪力で、何も持たずにライオンを引き裂いたという超人的なエピソードも残されています(士14:6)。サムソンはしかし、困った人で、日ごろから律法を重んじる素振りは少しもない人でした。イスラエルが敵対していたペリシテ人の女性を好きになって、両親の反対を押し切って結婚してしまいます(士14:3)。サムソンはまた、自分で殺したライオンの死骸に集まったミツバチの巣から、何のためらいもなく蜂蜜を取って食べ歩くような野蛮ぶりでした。しかも、親にも、汚れた死骸から取った蜂蜜であることを隠して、食べさせてしまいます。平気で親にまで律法を破らせるような、もう本当にとんでもないどら息子だったのです。

2.つける薬もない息子
  こういうどら息子を見かけると、親の顔が見てみたいと思うのが人間の心理ですね。でも、聖書を読む限り、サムソンの両親は、敬虔な信仰者で、立派な人たちに見えます。信心深い両親のもとに生まれた待望の子どもですから、両親こそ、この子の将来に期待していたのではないかと思います。息子が、信仰のない外国の女性と結婚をしようとしたときには猛反対しました。でも、サムソンは、両親の思いよりも、自分の素直な感情を大切にしました。サムソンは父に向かって言います。「彼女(ペリシテの女)をわたしの妻として迎えてください。わたしは彼女が好きです」(士14:3)。正直と言えば正直ですが、サムソンはもう、両親の手に負えるような息子ではありませんでした。サムソンがナジル人であったことは、多くの解説者の頭を悩ませるものでした。彼は女性に弱く、娼婦や愛人のところに通うような、とっくにナジル人であることを捨ててしまったような放縦息子だったからです。

  サムソンの物語で、もっとも有名なエピソードがあります。サムソンが、ろばのあご骨ひとつで立て続けに千人もの敵を撃ったときのことです。サムソンの怪力は、ペリシテ中に知れ渡り、ペリシテ人に大きな恐れを抱かせました。ペリシテ人は、サムソンの怪力の秘密を知るために、彼が好意を抱いていた女性デリラと取引をします。サムソンの秘密を教えてくれれば、報酬として大金を与えるという話をデリラに持ちかけます。デリラは、その話に乗っかり、スパイになってサムソンに尋ねます。「あなたの怪力がどこに秘められているのか教えてください」(士16:6)。サムソンは答えます。「乾いていない新しい弓弦七本で縛ればいい。そうすればわたしは弱くなり、並の人間のようになってしまう」(士16:7)。早速、デリラが言われたようにしてみると、サムソンは、いとも簡単にその弓弦を解いてしまいました。デリラは「うそつき!」と怒って、本当のことを言うように、サムソンにつめ寄ります。サムソンは、またも適当なことを言ってはぐらかし、デリラが彼の言葉通りに縛った縄を、「まるで糸のように」(士16:12)断ち切ってしまいます。

  こういうことが三度あったので、デリラは「ひどい!あなたはわたしを愛していないのね」などと言って当たり散らします。愛する女性に咎められ続け、耐え切れなくなったサムソンは、とうとう秘密を打ち明けてしまいます。「わたしは母の胎内にいたときからナジル人として神にささげられているので、頭にかみそりを当てたことがない。もし髪の毛をそられたら、わたしの力は抜けて、わたしは弱くなり、並の人間のようになってしまう」(士16:17)。サムソンは眠っている間に髪の毛をそられ、彼の怪力は失われてしまいます。ナジル人にとって、この髪が、神が共にいるというしるしであったのです。シャレのようですが。サムソンは、「神に献げられた者」という、だれも入り込めない深みに秘めていたアイデンティティを、明け渡してしまいます。

3.開かれた胎
  サムソンは、髪をそられ、力を失ってしまいました。ナジル人―神に献げられた者―としての使命を受けながら、サムソンの生様は不完全でした。どこで道を踏み誤ったのでしょうか。生まれる前から神に献げられていたのに、神のものであるアイデンティティを裏切りました。神よりも女性に好かれることを取りました。両親の祈りの中で生まれた待望の子であったのに、両親が願ったのとはまったく別の道を行きました。このサムソンの選んだ道について、彼が両親の反対を押し切ってペリシテの女を妻に迎え入れたときのことを、しかし、聖書は次のようにコメントしています。「父母にはこれが主のご計画であ…ることが分からなかった」(士14:4)。信心深い両親にとっては、ペリシテ人との結婚など言語道断のことではないですか。でも、聖書はこの破天荒息子に主が共におられない、とは言わないのです。むしろ、両親が思いも及ばないような、人間の思いを超えた主の大いなるご計画があると言います。

  聖書は、たしかにこのサムソンをペリシテ人の手から「イスラエルを解き放つ救いの先駆者」と言います。サムソンの召命は、彼の人間的な弱さや愚かさ、それゆえに犯してきた多くの失態にもかかわらず、取り消されることはありません。サムソンは、髪をそられて力を失ってしまいますが、神は完全に彼を見捨てることはなさいませんでした。

  サムソンの髪は、再び少しずつ伸び始めます(士16:22)。サムソンは、髪が伸び、再びみなぎってきた力によって、最後の力を振り絞って、今度こそイスラエルのために闘います。サムソンは、ペリシテ人の手から「イスラエルを解き放つ救いの先駆者」として召されましたが、数々の勝利を重ねながらも、ペリシテ人を完全な形で打ち負かすことはできませんでした。完全な形でイスラエルが解放されるには、後の王、ダビデの治世を待たねばなりませんでした。後に、「イスラエルを解き放つ」英雄として、偉大な王ダビデが登場します。サムソンは、飽くまでその前座であり、最初の一人を務めたのでした。しかも、だれもが認める欠陥だらけの先駆者でした。

  それにもかかわらず、サムソンの物語は、さらにもうひとつの出来事の予兆を示すものとなりました。洗礼者ヨハネの出来事です。洗礼者ヨハネは、救い主キリストの到来を前もって告げる先駆者でした。洗礼者ヨハネの誕生の物語は、サムソンの誕生物語に酷似しています。それにしても、ヨハネは大まじめ、サムソンは不まじめ。真逆のキャラクターです。主は、この真逆の人たちを一筋の道を敷くために用いられます。主は、人間には不可能と思われていた深く閉ざされた母たちの胎を開かれました。そのようにして、わたしたちの固く閉ざされた深いところに来られ、福音の母となるように招かれるのです。クリスマスの救いみ業を完成されるのは、主御自らです。迎えましょう、この方を。

祈り


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Tel/Fax 0246-21-2145
          いわき きょうかい
日本キリスト教団 磐 城 教 会
牧師 上竹 裕子
更新:2017.2.24

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